シラスにはまったホンダ 巨額損失はこう生まれた
2011年3月期に5340億円の純利益を稼ぎ出し、上場企業トップの座に就いたホンダ。だが決算をよく見ると、ある一つの問題が経営に
暗い影を落としていたことが分かる。シラスなど水産物の不正取引で150億円に上る損失を計上していたのだ。自動車やバイクが本業のはずのホンダに何が
あったのか。
今年1月24日。ホンダから報道機関各社に1通のファクスが送られた。タイトルは「水産課における不適切な取引の判明」。ホンダの水産課――。一瞬目を疑うようなタイトルの資料に書かれていたのは、不正取引で多額の損失を被ったという内容だった。
話はその1カ月ほど前の昨年12月20日にさかのぼる。東京・港区にあるホンダ本社10階にいた社長の伊東孝紳は、当時の副社長(現会長)で金庫番役だった近藤広一から受けた報告に驚きを隠せなかった。
「伊東さん、うちの子会社がシラスで大変なことに」(近藤)
「シラス? 何でうちがシラスなんてやってるんだ」(伊東)
ホンダの伊東孝紳社長(左)と当時副社長だった近藤広一会長
その時、伊東はもちろん、近藤も事態を完全に飲み込めていたわけではなかった。それもそのはず。近藤もこの報告の直前に本社を訪れた突然の訪問者の言葉に面食らったばかりだったからだ。
「本当に申し訳ございません。水産事業の損失が100億円以上になりそうです」。突然の訪問者とは、不正取引の舞台になったホンダ全額出資
の商社「ホンダトレーディング」(東京・千代田)で社長を務めていた須藤宗英。彼の話が終わると、近藤は突如降って沸いたような話に青ざめた。「損失額が
100億円以上……」
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08年秋のリーマン・ショック後の世界同時不況。ホンダはF1撤退や新車開発の凍結、人員削減など、身を切る思いでコスト削減に取り組んできた。そのさなかに子会社が巨額損失を被っていたわけだ。
なぜ150億円もの巨額損失が出たのか。不正取引が起きた背景をたどると、本田宗一郎が興した名門ホンダらしからぬ杜撰な管理体制の実態が浮かび上がる。
水産業界には「預かり在庫ビジネス」と呼ばれる独特の商習慣がある。今回、この商慣行が不正取引の温床になった。
例えばシラスの場合。日本では天然物のシラス漁期は春が中心で、水産業者は年1回の漁期に1年分のシラスを大量に仕入れることが多い。だが水産業者は中小企業が多く、シラスを大量に買い付ける資金力がない。
そこで登場するのがホンダトレーディングのような商社だ。詳しくいうと、水産業者は買い付けた大量のシラスをいったん商社に買い取ってもらう。そして1年を通して商社から少しずつシラスを買い戻し、スーパーなどの小売業者にシラスを卸す。
商社はいったん買い取ったシラスを水産業者に売り戻す際にマージンを受け取る。大量のシラスを買い取るが、自ら販売しないので必ず水産業者
にすべて売り戻す契約も結ぶ。だからリスクは少ない。これが「預かり在庫ビジネス」だ。ホンダトレーディングはこの商慣行を悪用し、売り上げを水増しする
などの不正取引に手を染めた。
ホンダトレーディングが水産事業を始めたのは2000年だ。その年の7月、大手水産メーカーの経理担当だった社員Aが中途で入社する。水産
事業では素人同然だった同社はAを水産課長に起用し、ほぼすべての業務の仕切りを任せてしまった。A課長(当時)はまだ30歳だった。
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それから3年ほどたった04年。A課長は取引のあった水産業者から「資金繰りが苦しいので、買い付けたシラスを市況よりも少し高めの値段で
買い取ってもらえないか。必ずまた買い取るから」と持ちかけられた。A課長は「困っているなら」と応じた。「いくら高めの値段で買い取っても、再び水産業
者に売れば、確実にマージンを取れる」。A課長はこう考えた。だが次第に目先の資金繰りに窮する複数の水産業者との間で同様の取引が増え、気がつけば、買
い取り価格は市況の10倍近い値段になっていた。
シラスの不正取引で巨額損失を被った(店頭に並ぶシラス)
だが資金繰りに窮する会社が市況よりも高いシラスをマージンまで払って確実に買い戻せる資金力があるはずもなく、A課長は泥沼にはまった。
さらに同じ商品の売買を伝票上だけで何度も成立させ、あたかも複数の「預かり在庫ビジネス」を手がけているかのように装った。これは不正な取引行為である
「循環取引」にあたる。
シラスはホンダトレーディングから冷蔵業者に預けられたままで、動いていたのは伝票だけ。問題が発覚した昨年10月には、水産業者が買い取
れなくなったシラスなどの在庫が150億円という膨大な金額になっていた。A課長がブレーキを踏めなかったのは、高い売り上げ目標を課せられ、相当なプ
レッシャーを受けていたからだという。
A課長を管理する立場にあった上司は在庫が適正水準を上回り始めた昨年夏から「在庫を減らしなさい」とA課長に指示していたという。ただA
課長の勤務態度は普段から勤勉で真面目。毎晩、夜遅くまで仕事を続け、上司も「よく頑張っている」と感心しており、強くは言えなかったようだ。しかも「在
庫を減らせ」と言えば、翌月になると伝票上は確かに在庫が減っていたという。
不正が分かったのは、取引していた水産業者2社が昨年10月下旬に相次いでデフォルト(債務不履行)を起こしたからだ。「これはおかしい」
と社内で本格的な調査が始まり、A課長の不正取引が発覚した。「今思えば、毎晩遅くまで仕事していたのは伝票を細工するためだったのかもしれない」。A課
長の上司はこう振り返る。
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売上高200億円ほどの水産事業だが、実質的に携わっていたのはわずか3人。A課長以外は自分で連れてきた部下1人で、水産事業に精通して
いない上司1人を騙すのに十分な組織だった。あまりにお粗末な管理体制の中で起きた不正取引だったことは間違いない。ホンダトレーディングも「ひとえに甘
い管理が問題だった」と非を認める。
ホンダトレーディングの本社が入居する東京・千代田のビル
そもそもなぜホンダがシラスなどの水産事業を手がけていたのか。
ホンダトレーディングはホンダやホンダ系部品メーカー向けにアルミや鉄の販売を手がけるなど、自動車やバイク関連が売り上げ全体の9割超を
占める。ホンダの完全子会社だという心理的な余裕もあり、「ホンダの社員に比べて『緩い』とは言わないが、どこかのんびりしていて、よく言えば、人柄のい
い人が多く集まっている会社」(取引先関係者)という評判だった。
ただ元々、ホンダが1970年代に「自動車やバイク以外にも新しいビジネスを」とのチャレンジ精神から立ち上げたベンチャー企業の一つ。水産事業も「ホンダ向けビジネスだけでなく、何か新しいことをやろう」との考えから事業化に踏み切ったという。
ホンダの社是にはこうある。「わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす」
「適正な価格」――。くしくも今回の不正取引は、そこからはるかに逸脱したものだった。A課長は問題発覚後も「そんなことがあるはずはな
い」と、不正取引を全面否定。いまだに「知らぬ、存ぜぬ」の姿勢を崩していない。こうした状況にもかかわらず、ホンダは法的措置を取らないという。子会社
が起こしたこととはいえ、長期にわたる不正を見逃した親会社であるホンダの責任は重い。
A課長は今年2月に懲戒解雇になり、須藤社長以下、取締役と監査役5人も辞任した。既に水産事業は年内撤退が決まっている。ホンダトレーディングは「水産事業に知見がなかった。反省している」とコメント。後味の悪い結末だったと言うしかない。